私の原点
今日は久しぶりにゆっくりする時間があるので、
私の原点について綴ってみようと思う。
私は神戸出身で、小学校6年生の時に阪神淡路大震災を体験した。
そのときに感じたことが自分の世界の原点になっていると思う。
私が生まれた年にできたニュータウンは、
ご近所の繋がりがそこまで深くなくて両親共働きだったのもあり、
近所の方とも挨拶もしないし、助け合いなんて感じることがない街だった。
ちなみに私の生まれ育った町は、神の谷という地域で、
小学校は神の谷小学校で校長先生は足利天使という名前だった。
今思うとすごいネーミングの地域ですごいネーミングの小学校に通っていたと思う笑
1995年1月17日5時46分、
阪神淡路大震災が発生。
そのときに感じたことを小学校の卒業文章にも残しています。
私にとっての阪神淡路大震災は暖かい思い出として残っています。
それは近所の人と挨拶もしなかったのに、
見ず知らずの人と声を掛け合って助け合った思い出があるからです。
小学校が休みになり、ライフラインがすべて止まる中で、
特に一番遅かったのは水で、私は水汲みを担当していました。
知らない方からあそこで水が出ているよと教えていただいたり、
実際、学校に自衛隊の配水車が来ており汲みに行くと、
5台くらい止まっている配水車の後ろに長蛇の列ができており、
大きな入れ物を持っている人は半分しかいれなかったり、
2つ持っている人は1つしかいれないで、
後ろに並んでいる人のことを考えている光景を目の当たりにしました。
この光景を見たり感じたり味わっているうちに心が暖かくなっていました。
震災は私たちに忘れかけている大切なものを教えてくれているのではないだろうか。
その大切なことは思いやりと協力ではないだろうか。
12歳の私はそのことを感じています。
そして続けます。
それは5000人もの命と引き換えにする価値はあるのだろうか?
いや、私たちがそれだけ価値のあるものにしなければならないのだと思います。
12歳の私があのときに感じたこと。
それが私の原点となっています。
私たちは大切なことをいつも忘れてしまう。
大きな出来事がないとその大切さに気付くことができない。
私にとっては命の大切さ、
そして思いやりや協力の大切さは、
人として生きていくための原点です。
震災を体験したことにより、「性善説」を信じれました。
人間は生まれもって思いやりの気持ちを持っている。
そのことが嬉しく感じたことを覚えています。
この文章を読んであらためて命の時間を大切に生きようと思いました。
ありがとう、12歳の私。
そして今もこの気持ちを大切に生きている今の私にも、
ありがとう。
私は争いや憎しみ合いだけの世界では生きていけない。
生きたいとさえ思わない。
絶望からも希望を生み出せると信じているから生きていけます。
実際に、大人になってから震災支援に足を運んだ、
東日本、熊本、朝倉でもやはり、大変な状況の中で、
人と人が触れ合い助け合う暖かさと優しさと強さを感じたから、
そんな世界が好きで今も生きています。
だからこそ、日常から
目に見えないものを大切に、
いつ失なわけれるかわからない命を大切にして、
大切な人を大切にして、
生きていきたいと思います。
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